この道路、何がどうなってるの?
東京外かく環状道路(外環道)は1966年(昭和41年)に都市計画決定されました。当初の計画は、幅員40mの道路の中央に高架で高速道路(片側2車線)を通すというものでした。しかし住宅地を貫くルートだったため地元の反対が強く、事業は長期間凍結されます。
2000年代に入り、当時の石原慎太郎都知事が高速道路部分を「大深度地下」に移す方針を打ち出したことで事業は再始動し、2012年に着工しました。ところが、高速道路は地下に潜った一方で、地上部分の道路計画(通称「外環の2」)は都市計画としてそのまま残されたのです。これが今回のテーマです。
「もう要らないのでは」という声
高速道路が地下化されたことで、「外環の2」をめぐる状況は大きく変わりました。もともと高架の高速道路に付随する側道として計画されていた地上部街路が、高速道路のない今も本当に必要なのか、という疑問です。トラフィックニュース系メディアの報道によれば、こうした「地下化された以上、地上の街路は廃止すべき」という意見は、外環ルート沿線で幅広く共有されているといいます。
練馬区だけが前向き、という地域差
興味深いのは、外環ルートが通る自治体の間で対応が分かれていることです。
- 練馬区:区が「南北交通の改善」「延焼遮断帯としての防災効果」を理由に、整備に積極的な姿勢を示しています。2010〜2014年にかけて「話し合いの会」「意見を聴く会」を重ね、2014年に区独自の「取組方針」を策定。その結果、練馬区内の区間(約3.3km)は現在の優先整備路線に選ばれています。
- 杉並区・武蔵野市・三鷹市:話し合いは行われているものの、練馬区ほどの積極姿勢は見られません。
- 世田谷区:計画がかかる区間がごくわずかなため、そもそも話し合い自体を実施していません。
同じ都市計画路線でも、自治体ごとの土地利用や住民意識の違いによって温度差が生じている、珍しいケースです。
何が問題なのか
1. 前提条件が変わった計画をどう扱うか 「外環の2」は、そもそも高架の高速道路とセットで設計された計画です。前提だった高速道路が地下化された以上、地上部の必要性そのものを都がゼロベースで再検証する必要があったはずです。練馬区が独自に防災・交通面での必要性を再定義して前向きな結論を出したこと自体は、丁寧な手続きと言えます。
2. 「必要性の再定義」が説得力を持つか 延焼遮断帯としての防災効果や南北交通の改善という練馬区の説明は、木密地域対策として他の路線でも使われる一般的なロジックです。これが「外環の2」練馬区間の実情に照らして具体的にどの程度の効果を持つのか、住民側が検証できる形での情報公開が今後も求められます。
3. 自治体間の対応の違いをどう評価するか 一つの路線計画に対して自治体ごとに結論が分かれること自体は、地方自治の観点からは自然なことです。ただし利用者から見れば、練馬区だけ道路ができて他の区市ではできないとなれば、ネットワークとしての効果は限定的になります。
まとめ
「外環の2」は、前提条件(高速道路の地下化)が変わったにもかかわらず都市計画が自動的に残り続けた、制度上の空白を象徴する事例です。練馬区が独自に必要性を再定義して優先整備路線に組み込んだ経緯は、行政の対応として評価できる面がある一方、他地域との温度差も含めて、今後の議論の行方を注視する必要があります。
参考情報源:練馬区公式サイト、日本経済新聞記事、トラフィックニュース記事等を基に構成しています。